数多くの温泉地を抱える日本有数の温泉天国・北海道。その代表が登別温泉です。
9種類もの温泉が湧き出す日本有数の温泉郷として、質・人気ともに非常に高く、観光専門誌の調査で「日本一」にランクされたことも。
旅行代理店の担当者などを対象に、全国2,000以上の温泉地の中からサービスや観光客の受け入れ態勢、温泉の質など総合的に審査した結果、登別温泉は旅行のプロからもお墨付きを貰ったのです。
このように登別温泉の国内での人気はもちろんのこと、最近では台湾、香港、韓国などの海外から訪れる人も年々増加しています。
そのため温泉街でも外国の言葉や文化を学ぶなどして海外からのお客様のおもてなしにも力を入れています。
▲明治40年頃(登別パラダイス)

【登別の語源】
登別の語源はアイヌ語の「ヌプルペッ=白く濁った川・色の濃い川」を意味するといわれます。
古くから川の色が変わるほど豊富に温泉が湧き出していた様が思われます。
また、温泉街を流れる川もアイヌ語で「クスリサンペッ=薬湯そこを通って浜にでる川」の意味。
アイヌ語でクスリとは温泉のこと、アイヌの人たちも大昔から温泉を薬湯として重宝していたようです。【温泉地としての登別】
弘化2年(1845年)には北海道の名付け親でもある松浦武四郎も登別温泉を訪れ、その魅力を綴っています。
当時はまだ道らしきものもありませんでしたが、後に安政4年(1857年)からは近江商人の岡田半兵衛が道路を開削。
後には湯治の祖と呼ばれる滝本金蔵が温泉宿を建て、新しい道(現在の道筋)を整備し、現在の基礎を築きました。
また名湯の副産物・硫黄の採掘も国の保護政策に加えられるようになります。【登別温泉の発展】
その後、日露戦争の傷病兵の保養地に指定され全国的に知られるようになり、旅館、みやげ店などが建ち並ぶ現在の温泉街の原形が形成されました。
交通の面でも更なる革新が行われ、徒歩か馬車に頼っていたものを、大正4(1915)年に鉄道を敷き軌道馬車にし、大正7(1918)年には蒸気機関車、大正14(1925)年には電車へ、着々と整備が進められました。
電車と民家は同じ発電所から電気の供給を受けていたので、たくさんの人が電車に乗ると電球が暗くなり「今日はたくさんのお客さんが来た」とわかったそうです。
こうして登別温泉を訪れる人は増大し、それに伴い登別温泉も発展していきました。
自然湧出量1日1万トン、源泉温度45℃~90℃の高温、そしてなんといって9種類ものバラエティ豊かな泉質が魅力です。
これは世界的にも珍しく「温泉のデパート」と呼ばれるほど。
古くは湯治場として病気、怪我の療養に利用され、近年では健康な人が心身のリフレッシュや積極的な健康づくりに温泉を利用するなど温泉の効能が見直されています。
![]()
毛細血管や冠状動脈を拡張させる働きがあるため、慢性気管支炎や動脈硬化症に効きます。
解毒作用もあり、慢性皮膚病などにも良い。
![]()
無色透明で、しおからい味がして、石鹸は泡立ちません。保温効果が高くて、ポカポカと湯冷めしないため「熱の湯」とも呼ばれます。
神経痛や腰痛、冷え性などに効き目があります。
![]()
皮膚や粘膜を引き締め、慢性の皮膚疾患や粘膜の炎症、水虫、じんま疹などに良い。
道外では草津温泉が有名です。
![]()
陰イオンが硫酸イオン、陽イオンはナトリウムが主成分。
無色透明で塩味があります。
高血圧症や外傷、動脈硬化症状などに良い。
![]()
陰イオンが硫酸イオン、陽イオンはカルシウムが主成分。
石鹸はあまり泡立ちません。
鎮静効果があり、切り傷、やけど、打ち身、痔に良く、高血圧症、動脈硬化にも良い。
![]()
強酸性で、銅やマンガンなどの鉱物を含むことが多い。
良く温まり、貧血症や慢性湿疹などに良い。
![]()
空気に触れると赤茶色となり、タオルが赤っぽくなります。
金属味がすることも。
良く温まり、貧血症や慢性湿疹などに良い。
![]()
火山地帯に多い。無色透明。
殺菌力が強いので湿疹などに良いけれど、皮膚の弱い人は入浴後に真水で洗い流した方がいいです。
![]()
無色透明で石鹸は良く溶けます。
皮膚の角質層を軟らかくし、分泌物を乳化する作用があるので「美人の湯」とも呼ばれます。
皮膚病、切り傷などに良い。












